数多の屍を超えてゆけ。そして二つの基本。

f:id:gzgz_green:20210513144156j:plain

今、何かが圧倒的に足りない・・


インテリア雑誌でみるようなお洒落なお部屋にしたい!という願望のもと、安直に観葉植物に手を出し、春に買っては冬に枯らすというサイクルを数年繰り返していたあの頃。

育てやすい観葉植物は園芸センターだけではなく、町の小さな雑貨屋さんでも雑貨感覚で扱うようになっていた頃で、なんとなく流行ってたんですよね。

植物なんてとりあえず水をあげとけば適当に育つだろうとそれ以外ロクな世話をせず、なんなら買って飾ったことで満足してしまっていたんでしょう。

そんな植物たちは当然のように秋に向かうにつれ元気がなくなっていき、それにつれて更に自然と興味も薄れていき次第に放置状態に・・。

冬場は部屋に取り込むも冷たい窓辺に放置で春に気づいた頃はすでに手遅れ・・。救済する術もそもそも意識もなく、そうなってから漠然とあーまたやってしまったと後悔するも、新緑の季節を迎えるに伴いまた性懲りも無く新しいグリーンを物色しに行く、というサイクル。

個人的には何人かにひとりは耳が痛い話ではなかろうかと思ってはいるんですが、どうなんでしょう・・。

何度かそんなことを繰り返し、さすがに良心の呵責と不向きな性格を自覚して、その後は暫く植物に意識を向けることはなかった。

でも数年前、植物を思い出すちょっとしたきっかけがあり、久しぶりに所有欲がふつふつと湧き出てきて久しぶりにまた植物を購入した。

その時職場にいた友人に、植物の世話は
「基本その植物が実際にいた環境をなるべく再現すること」
「植物だって生き物だから基本的には人間と同じ」
という2つの基本を教わった。

ふーんなるほどとそんなことをちょっと意識して世話を始めたら、あれなんか少し仲良く慣れそうな兆し・・なんてこんなで少しはマシになって今日に至ります。

もし同じような経験のあるひとがいたらこの2つの基本で結構変わりますよ!
ほんと。